「なにわ担」を一旦離れてみる話
西畑担になって10年を迎えようとしているこのタイミングでこんな事を綴ることになるとは思っていませんでしたが、そういう運びとなりました。
誰が悪い訳でもなく完全に私の中の問題です。
当時を知っている人だけの共通認識であったはずのなにわ皇子・なにきん結成から解体、そして「焼け野原」時代、そこからの再建…
なにわ男子結成時の自担に向けられた批判の嵐、絶対に絶対にデビュー出来ると信じてJr.大賞の投票用紙を書き続けた日々。思い返せばキリがありません。
私の中で大切に大切にしまっておいたはずのこれらの出来事が、なにわ男子が売れることによって世の中に大々的に出るようになった。「エモい苦労話」として讃えられるようになった。
そういう部分に耐えられなくなった、きっとそれだけの話です。
なにきん時代は大吾くんの立ち位置が今ほど良かった訳ではなく、選抜落ち的な扱いを受けた時もたくさんありました。
なにわ皇子の中でも優遇されていないと感じる時もあったし、モヤモヤぐちゃぐちゃした気持ちにもなりました。
時は過ぎて2015年の少年たち、1番初めに大吾くんの名前があって飛び上がるほど嬉しかった。
明るい内容の話ではなかったし、エースが次々と離脱していった当時の関西Jr.の状況だって明るいものではなかったかもしれない。
それでもこのメンバーで関西Jr.を盛り上げて見せるという意地と熱量を確かに感じ取れた。私にとっては大きな希望を感じる公演だった。
でもあの時代は「焼け野原」でまとめられてしまった。それを言い始めたのが自担だったのはもちろん分かっています。
自担が感じていたことと私が感じていたことは違って当たり前なので、それに対して怒っているのかと言われたらたぶん違う
末端のオタクである私が感じていたことよりも、当事者である自担の思いのほうが遥かに正しいんだから。
ただあの時、あんなに強くて素敵な関西Jr.があったのに、見向きもしてくれなかった各種メディア、インフルエンサーオタクポジションのタレント、某マスコットキャラクターなどなど
今になって、意外と苦労人だのエモいだの泣けるだの、そんな言葉がよく耳に入ってくるようになりました。
そこに感じた少しの気持ち悪さがもうどうしようもないくらい巨大化してしまったみたいです。
京セラ以来になにわ男子にご対面したデビューコン、薄々感じてはいたけどいちばん楽しかったのは、案の定Jr.曲メドレーのコーナーでした。
この人たちは間違いなくもっと上に登っていく。
でもJr.時代の、これデビューいける絶対にいける間違いなくいける!!!!というあの熱量に敵うものにこれから出会えることがあるとしたら、それはこれからの関西Jr.に対してなんだろう、と確信してしまいました。
ここ数ヶ月YouTubeひとつ、TV番組ひとつ再生するのにも今までになかったエネルギーを要していたのも事実です。関ジュ関係は一瞬で消化出来てしまうのに。
幸いにもなにわ男子はデビューしてくれたので、よく考えればJr.時代とは違って大抵のことはリアルタイムで追わなくても逃げていきません。
リアルタイムでしか感じられない気持ちは手放してしまうけれど、今はそれを惜しいとも思っていません。
こんな調子なので本当に今から何を変えるわけでもありません。西畑担になってからずーーーーっと貫いてきた通り、関ジュが好きな西畑担です。西畑担は意地でも降りるつもりはないし、リアルタイムとはいかなくとも追うつもりです。
ただ一応なにわ担のはずなのに何一つ出来ていない、そのモヤモヤを取っ払う為に、自分で勝手に自分を縛っていた「なにわ担」から自分を解放しよう、と勝手に区切ったオタクの独り言でした。
これからはAmBitious中心に関ジュ担かな。別に今決めなくてもいいか。